ひろてぃの過去と黒歴史

ひろてぃ

こんにちは!ひろてぃです。

ここでは僕の過去と僕がどうして前妻と別れることになったのか。今だから分かるその原因を詳しくお伝えしたいと思います。

僕が幼い頃に、心の中に育った「どうせ僕を愛してくれる人なんかいない」という無意識の悪魔が、僕の人生を狂わしていくこととなります。

不仲な両親の元で育つ

僕の家庭はいわゆる「機能不全家庭」でした。毎週末は必ずケンカ。

モラハラ・DV、アルコール依存、別居、不倫、自殺未遂、傷害事件など家庭内で起きそうな問題オールスターは一通り経験します。

ケンカは何歳になっても止むことはなく、僕が物心ついた時から、成人になるまでずっと続きました。

そんなケンカばかりの父と母でしたが、実はどちらも僕のことを大切に思ってくれていました。

ひろてぃ

そんな二人のことが、僕は大好きでした。

なので、幼い頃から二人の仲介役、泣いている方の慰め役をしていました。子供ながらに一生懸命、大好きな父と母を繋ぎ止めようとしていたのです。

でも二人はまたケンカをしてしまう。大好きな父と母が怒鳴り声を上げ、自分には向けたこともない険しい顔をしている。大好きな人が大好きな人に悪いことをしている。

僕の心は無力感でいっぱいでした。どんなに僕が頑張っても、二人の関係はどんどんダメになっていく。

そんな日々を過ごしていく内に、僕の心の中には「どうせまた」とか「裏切るんでしょ?」という疑いの声がどんどん増えていきました。

いつの間にか僕の頭の中の無意識の部分には

「僕の言ったことを二人は耳も傾けてくれない」
「どうせ僕は愛されない」
「人は裏切る」
「結婚しても人は分かり合えない」

と自分に向けられた愛情への不信感、他者への不信感、結婚への疑念などがドロドロとたまっていったのです。

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そうして僕は表面上は笑顔でも、他者を信用できない、どうせ自分は愛されない、と思う自分になっていったのです。

そして、これは大人になってから「心の悪魔」として登場くるのです。

前妻との出会い

そんな僕でしたが、やはり年相応になると恋愛もしますし、結婚への憧れももちろんありました。

ただ無意識では「愛されない」という呪縛が足を引っ張っていたので「恋愛したら、結婚したら頑張って相手を幸せにしなきゃいけない。尽くさなきゃいけない」と強迫的に思っていました。

社会人として働き始めた時、職場で前妻(以降彼女)と出会いました。彼女は僕を好いてくれ、彼女からのアプローチで付き合い始めることとなります。

最初のすれ違い

付き合い始めてまだ1ヶ月もしない頃でした。彼女との些細なすれ違いがあり、僕は話し合いの場を設けようとしました。

出来るだけ両者の意見を出して、折り合いをつける場として、話を進めていました。これから大切にしたい彼女だと考えていたし、早いうちから関係作りのために、しっかり話し合いをしたいと思っていたんです。

ですが、話し合いを進める内に、なぜか彼女がポロポロと泣き始めてしまったのです。

僕は困惑しました。「どうして泣いてしまったんだろう。」と。混乱と自分を責める気持ちで頭がいっぱいになります。

しばらくして彼女は泣きながら、こう言いました。

話し合いが怖い・・・。したくない・・・。

僕は一瞬理解ができませんでした。

これから二人で話し合って色々解決したり、成長していきたいと思っていたのに、それができない。「おい」とか「〇〇しろよ」なんて威圧的な言葉は使っていないのに・・・どうして?

そして彼女はこうも言いました。

話し合いは怖いからしないで。別の優しい言い方で伝えて欲しい。

僕は二人のために話し合いをしようとした。だけど、僕が本音を伝えようとすることは、こうやって彼女を傷付けてしまうことに繋がってしまうんだ。

そんな風に僕は思ったんです。そしてこの出来事をきっかけに、彼女への強い罪悪感を僕は背負うことになります。

今思えば「たかだかそんなことで」ですが、当時の僕にとって女性を泣かすことはとても恐怖でした。なぜなら、幼い頃に植え付けられた無意識から「パートナーにヒドイことをするのはとても悪いこと」という風に感じていたからです。

心の中にどんどん闇が広がっていく

“恋愛や結婚は親との関係の再現”

と言います。

僕はあの時自分の力で幸せに出来なかった母親、いつも暗い顔をしていた母親との関係を、彼女で再現していたんだと思います。

僕は母親が泣く姿を見たくなかったし、救ってあげたかった。出来るだけ話を聞いて、暗い顔を明るくさせてあげたい、と思っていました。

あの話し合いの日以来、僕は彼女が嫌な気持ちにならないよう、必死でした。

・彼女が「会いたい」と言えば、その日の予定をドタキャンしてまで会いに行く。
・たとえ僕が嫌な気持ちになったとしても、彼女の行動は指摘しない。なるべく自分で我慢して気持ちを収める。
・連絡は必ずすぐ返す。自分の用事の最中でも電話をして声を聞かせる。などなど。

今思えば理不尽なこともたくさんでしたが、とにかく当時は必死でした。僕の予定よりも彼女の予定に合わせて行動していました。

彼女の言っていた「優しい言い方」も考えて、ユーモアを交えて言ってみたり前置きをした上で言ってみたりと、色々工夫をしてみました。ですが、何かを伝えようとするたびに彼女の表情はくもります。

僕はあの時の涙がずっとトラウマでした。そしてその内、自分の気持ちを伝えることをしなくなっていったのです。いつも自分に我慢を強いていました。

「本当はもっと自分の好きなことを思いっきりしたい。自分の気持ちも分かってほしい。」
「でも彼女を悲しませたくない。」
「彼女を幸せにしたい。」
「でも彼女に尽くしても僕は愛されないし、この気持ちも誰も分かってくれない。」
「親のように不仲な関係になりたくない。」
「人は結局裏切る。」

そんな思い達が水面下で激しくぶつかり合っていたんです。煮えきらない思いが、心の中の闇となって渦巻いていました。

結婚。そして別れ

すでに感覚が麻痺していた僕は、自分の気持ちに向き合うよりも
「子どものことを考えるとそろそろ」
「結婚って勢いって言うしな」
と思い、結婚することを決意します。(とても浅はかでしたね)

そして同棲からわずか半年。僕たちは入籍をします。

この頃には感覚が麻痺しつつも、ふとした時に涙がぼろぼろ出てきたり、「どうせ誰も俺のことなんて分かってくれないんだ」と母親に泣きながら電話していたこともありました。

ひろてぃ

今思うと、よくこの状態で結婚に踏み切ったと思います。

結婚生活になると、僕はさらに彼女に尽くしました。ちょうど彼女が転職の時期と重なり、より「尽くしてあげなきゃ」と思うようになっていきました。

毎日の料理、洗濯はもちろん、掃除、食料・日用品の買い出し、彼女のお弁当作りまで行いました。また、体が疲れていることも多かったので、時々ですが体のマッサージも。

毎日そんな感じなので、僕も疲れ果てていました。休日こそ自分の時間を取りたいと思っていましたが、彼女は朝から「どこかに出かけよう」と言います。断ると不機嫌になってしまいます。

繰り返しになりますが、僕は彼女が不機嫌なったり泣かれたりするのが本当に恐怖でした。

彼女が不機嫌になると「また悪いことをしてしまった」と自分の心を罪悪感で、ズタズタに切り裂いてしまうから。それほど当時の僕の自己肯定感は低かったんです。

だから、体が辛くても心が辛くても、彼女が不機嫌にならないように毎日頑張りました。

今までの我慢が爆発

でも流石にそんな毎日は長くは続きません。僕はどんどん鬱っぽくなっていきました。
辛くなった僕は、自分でタブーにしていた「彼女への話し合い」を持ちかけました。僕も限界だったのです。

ですが彼女の答えはやはりNOでした。

直接「やだ」と言われたわけではありません。

でも、僕が話し合いを始めようとすると「どうでもいい」と言われました。
別の時には話をしたら、スマホをいじり始めました。寝てしまうこともありました。

肝心な時に逃げてしまうように見えました。

この時、幼い頃に心の中に巣食っていた悪魔が耳元で言ってきます。「ほら!やっぱり裏切った!」と。

そして

「どうせお前は愛されない。親だってそうだった。お前がどんなに頑張ったって人は裏切るんだ。自分の身は自分で守らないといけないよ」

とささやきました。

そして、僕の中で何かが切れた感覚がしました。

「もう無理だ。僕はあんなに我慢をして、あなたに尽くしてきた。話し合いも怖がっていたからしてこなかった。一生懸命にこの5年近くあなたに尽くしてきた。でも、あなたは僕の本音一つ聞いてくれないのか。本当の僕は受け入れてくれないのか。あなた一人が幸せになるための道具だったのか!」

と心の底からドス黒いものが湧き上がってきたんです。止めどない怒りが僕を頭の中を覆いつくしたんです。

そこから僕の態度は一変。

なるべく顔を合わせないように、仕事帰りを遅くし休日も出来るだけ自分の予定を詰め込みました。

「僕が不機嫌になっているのをあなたのせいだ」と彼女にぶつけ、常に攻撃的な口調。彼女が泣いていてもお構いなし。

今までどれだけ自分が辛い思いをしてきたか、と思い知らせるために、彼女が困っていても無視。「自分で解決しないと成長しないよ」そんな言葉を冷たく言い放ちました。

「今まで僕の気持ちを無視してきたんだから、このぐらいの仕打ちは当たり前だ」なんてことまで考えていました。

そしてどんどん家庭内別居状態に。彼女も今の状態ではまずいと思ったのか謝罪もありましたが、僕は聞き入れる耳を持ちませんでした。

彼女から話し合いの持ちかけもありましたが、「今さら何を言ってるの?俺の話は聞かないのに、都合が良すぎない?」と冷たくあしらいました。

本当に。本当にヒドイ態度を取っていました。
そして、そんな別人のようになってしまった僕に、彼女も耐えられなくなりました。

そして離婚

僕たちの結婚生活は関係が修復されないまま、わずか2年で幕を閉じました。僕は、なりたくないはずの自分の両親と同じような道を辿っていたのです。

離婚になって、実際に離れて暮らすようになると僕は冷静になり始めます。

そして自分がしてしまったことの酷さに後悔し始めます。

何も分かり合えないまま、分かり合おうとしないまま別れてしまった。もっと出来ることはあったはずだった。でも僕は怒りに身を任せて酷いことばかりしてしまった。あの時の彼女の涙、悲しい顔、無理に作った笑顔。僕は一人の女性を不幸にしてしまったんだ。

そんな風にして、僕はしばらく強い自己嫌悪に陥ったのです。都合の良い話です。

僕は自分と向き合うことをずっと避けていました。自分の感情を大事にせず、心のおもむくままに進むことを恐れていたのです。

自分で自分を信じてあげることが出来なかったことが、二人の関係の破壊に繋がったのです。

僕が学んだこと

もし「彼女からの愛情」を信じていたり上手に受け取れていれば、話し合いを避けてしまわれても、それ以上に別の部分から愛情を受け取れたかもしれません。

実際、彼女と過ごす日々は楽しいことも多かったですし、明るい彼女の性格に僕は救われていました。

それにはまず、自分が自分を信じてあげることが必要でした。

「自分はどうせ愛されない」と心の悪魔に従ってしまうと、どんなに幸せな状況でも、それを確信するための証拠集めをしてしまうんです。僕にとっては、その証拠が【話し合いをおざなりにされること】でした。

人は、家庭環境、親の価値観、過去の経験、メディアなどから強く影響を受けて無意識を作っていきます。
無意識はとても強力で、普段の行動に影響を強く与えます。日常のほとんどの行動を無意識に行なっているとも言われているぐらいです。

そして、その無意識が「心の悪魔」になったり、逆に良い方向に導いてくれる「道標」なることで今後の人生に大きな影響を与えていくんです。

もし、自分自身を無意識から信じることが出来たら。人生は本当に大きく変わることでしょう。

前妻との別れを通して、僕はそのことを学ぶことが出来たのです。


ひろてぃ

いかがでしたでしょうか?

この後僕は今の妻と出会います。

実はそこでも夫婦の危機が訪れるのですが、ここで妻が言った

「あなたが私を信じていないのは、あなたがあなた自身を信じていないからじゃない?」という一言をきっかけに心理学を学び始めました。

そして「心の悪魔」を退治することが出来たのです。

このことをきっかけに

自分自身を信じることは、自分が愛する人を信じることにつながる。

ということを学ぶことが出来ました。そして、たとえ状況が変化しても「幸せは自分で作り出せる」ということにも気付かされました。

このきっかけを与えてくれた今の妻はもちろん、辛い別れを通して教えてくれた、前妻にとても感謝をしています。本当の自分に気付くことが出来ました。

パートナーは写し鏡のようなものです。自分の問題を自分に教えてくれます。そして「パートナーが悪い!」と思って離婚しても、同じような問題が自分の前に立ちはだかってきます。

大切なのは、自分の心とどう向き合うか。心の声を感じれるかどうかなんです。